畠山一清が、世界的に認められた井口在屋博士の渦巻きポンプの理論に基づいた優れた製品を世に広めるため、ゐのくち式機械事務所を設立。
優に20tもある、当時では記録的な大型ポンプ。荏原製作所本社に今も飾られている。荏原のポンプシェア拡大のきっかけとなった。
この時代、土地改良・耕地整理事業の興隆により大容量のポンプが求められていた。そこに荏原はいち早く着手し、要望に応え業界に衝撃を与えた。
人絹(人造絹糸)工場や百貨店など数々の大規模施設が建設されていた。そこで活躍する空調用途のターボ冷凍機は非常に好評となった。
ポンプ事業を発展させる中、災害に備えた水インフラの整備を検討したことで、水処理プラントを完成させ、日本の発展に貢献した。
コンプレッサ・タービンであり、ターボ機械の一種。初の大容量機であったが、完成した圧縮機は性能が輸入品以上に優秀だったことから、常備機となった。