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1921


創業期から続く持続可能な社会づくりへの貢献

大正12年(1923年)に起こった関東大震災でも、荏原のポンプは活躍した。当時、東京市の水道は淀橋浄水場1カ所のみであった。水は多摩川上流の羽村から淀橋まで送水されていた。ところが、関東大震災の2年前に大きな地震があり、数カ所が崩壊し、東京市の水道が止まった。一清は、当時人口約200万の東京市民の命を守る水道が、たった一つの水路だけに頼っていることに危機感を持った。地震で断水になれば、火災が起こる。火災の後は悪疫が発生し、さらに治安が悪化する。

一清は市長及び関係者へ予備設備の必要性を説明し、ポンプの寄付も申し入れたので予備ポンプを設置することになった。大正10年(1921年)に、旧神田浄水場の水路を利用して新宿の角筈まで通水し、ポンプで揚水するという計画を立てポンプ8台を据え付けた。それから2年後に、関東大震災が起き、羽村の水路が決壊し、市内の水道は完全に止まってしまった。一清は数名の技術者を派遣し、2年前に据え付けた予備ポンプを運転し揚水を始めた。その甲斐あって、翌日の午後には通水が始まり、火災の拡大、悪疫の流行を防ぐ事ができた。この迅速な対応は国内外に広く報道され、日本の水道界は高く評価された。
このように荏原は、創業当初から世界中で必要不可欠な社会インフラを提供し、産業とくらしを支え、社会や地球環境の維持、改善に貢献してきた。
荏原は2020年に10年後の2030年度に向けた長期ビジョン「E-Vision2030」を策定した。E-Vision2030の中で荏原が解決・改善していく、5つのマテリアリティ(重要課題)を設定している。その1つに「持続可能な社会づくりへの貢献」を掲げているが、その源流は創業期からあったのだ。そしてそのDNAは、現在も引き継がれている。