大正9年(1920年)5月、一清の個人経営であったゐのくち式機械事務所から資本金300万円の株式会社荏原製作所へ生まれ変わった。株式会社設立とともに新工場が東京都荏原郡品川町南品川宿、現在のJR山手線・大崎駅のそばに新設された。敷地面積8000坪、工場建坪350坪、当時としては最新鋭の機械設備を備えた、日本最初の近代的なポンプ専門工場であった。株式会社設立時の第1回株主総会で井口博士を顧問、一清は取締役専務に就任した。顧問を選ぶことを株主総会にかける必要はないが、井口博士の顧問就任を非常に重要視していたため、総会で選ばれる形とした。
一清は株式会社、近代的工場を設立するため、海外情勢を視察しておく必要があると考え、設立前年にアメリカ、イギリス、フランス、スイス、ドイツを訪問した。そこで得た知識うちの一つが社名である。井口博士の発明品に限定せず、さらに製品範囲を広げるため、新工場の場所である荏原郡から社名を取り、荏原製作所として新たなスタートを切った。