事務所設立当初、井口博士は事務所の仕事を全面的に支援したが、大学の仕事のために頻繁に事務所に顔を出すことができなかった。そこで一清は、井口博士の自宅を訪れては相談した。また、東大の機械や造船の専門の教授にも相談し、常に大学の教授たちとは密接な関係を保っていた。資本も小さく、貧弱な設備しかない事務所は井口博士をはじめとする多くの大学教授のバックアップによって実績、技術力を伸ばした。その結果、台湾の台中市水道局、東京市からは三河島汚水処理場と浅草田町排水場大型ポンプの受注など、十分な設備のない町工場でありながら、日暮里工場の技術は群を抜いていることを世に知らしめた。