大学は東京帝国大学に進学し機械工学を専攻した。専攻を選んだ経緯については「機械に格別な関心を持っていたわけではない。ただ、機械出身なら都市の研究所か何かに就職できるから、いつも都会の空気が吸えることになる。それだけの理由で機械工学科に決めただけのことだ。」と後年語っているが、義兄に学費の支援をしてもらっていたため、その恩返しも込めて大学時代は精一杯勉強に励んだ。
そして、大学時代に恩師となる同じ石川出身の井口在屋博士に出会い、後に井口博士の理論を事業化するためにゐのくち式機械事務所を立ち上げることになる。井口博士は当時、東京帝国大学工学部の教授であり水力学ならびに応用力学の権威として知られており、ポンプについても研究していた。ポンプの原理そのものは、古代ギリシャの時代からすでに知られており、その後、ヨーロッパで灌漑用の設備技術として発展していた。
井口博士は独自の改良と数学的解明により研究を進め、世界で最初の渦巻ポンプの体系的な論文“渦巻ポンプに関する理論”(Theory of Ordinary Centrifugal Pumps and of a New Centrifugal Pumps having Divergent Vortex Chamber provided with Guide Vanes for producing Forced Vortex)を明治38年(1905年)に発表した。
さらに、その理論に基づいて実験用の180mmのタービンポンプを当時の芝浦製作所で試作・試験を行い、揚程130フィート(39.5m)、平均効率69%をという当時としては前代未聞の良い結果を得る事になる。そして、その結果を「Result of a Forced Vortex Centrifugal Pump(強制渦巻ポンプの実験成績)」という論文で発表され、欧米の多くの学者を驚かせた。